【村中大祐が語る】雑念を人生の宝に変える法 [人生]
瞑想と座禅は区別して考えないとダメ。
やっぱり私には座禅は合わない。
カタチにこだわるばかりに思えるから。
もちろん人によって受ける感覚は違うから、
批判ではなく、私個人の意見。
私にとって一番大事なのは、
難行苦行のような座禅より、
脱力してリラックスできる空間を持つこと。
そうなると座禅じゃ無理なわけ。
だから瞑想なの。
座禅には半眼や結跏趺坐がある。
それがどうしても苦行になるのと、
やっぱり書いたものが欲しい。
やり方だけ教えて、後はやればわかる、
と言われるのが、どう考えても腑に落ちない。
あ、やっぱり批判かも。
この辺りでやめとくわ。
そう言えば、「やれば分かるもんさ」とは、
私も使うからな。
ははは。許せ。
むーらん
追伸:詳しく知りたい方は
メルマガに無料登録してみて。
登録はこちら↓からどうぞ。
https://39auto.biz/daimuran/touroku/entryform13.htm
muranさん、こんばんわ。長く坐禅をちんたらやってる人間として、もちろんmuranさんの合わないと思う気持ちはわかりながら、敢えて私が思うことを述べさせてくださいね。
まず、muranさんみたいな強靭な意志の力を持った人になら、坐禅だろうが瞑想だろうがどちらでも好きなほうをされたらいいと思います。
ただ私のような集中力の乏しい、かつ落ち込みやすい人間には、たぶん坐禅が良かったような気がします。
半眼は集中力を維持するには最良の方法だと思うのです。私は目をつぶって坐禅すると、必ずいろんなつまらないことを考えてしまうのです。つまり妄想が湧いてくるってやつですね。そうなると坐禅どころではありません。
数息感という一から十まで息を数えるのを繰り返す集中方があるのですが、そんなこと目をつむりながらではとてもできません。私の場合。
そうか、muranさんの場合、雑念ではなくてお宝でしたね。そうとらえられるmuranさんなのだから、全然問題ないと思います。
だから、半眼は私には意味があると思うのです、誰にもじゃなくて、注意力散漫な人間にとっては。
それから天風さんの呼吸法でお尻の穴を閉じると、エネルギーが体の中に充満するイメージが出来るとおっしゃいましたが、この「イメージする」のは私もとても良い方法だと思います。
実は私が尊敬する和尚さんに彼がつかんだ坐禅のポイントを教えてもらったことがあって、その和尚さんも「尻の穴をすぼめる感じ。」と言われました。muranさんの、そして天風さんの言葉とよく似ていてびっくりしました。
残念ながらこのやり方は私にはうまくいかないものでした。
私の場合は吸った息が体中を回って鼻や口、そして瞼と瞼の間から抜けることをイメージすると良い呼吸が出来る感じがするのですが、目をつむってしまうと瞼と瞼の間から息が抜けない。つまり目を閉じると力が入るんですね。
上の歯と下の歯を合わせないというのも大事なポイントなのですが、これも歯が合わさると力みが生じる。目をつむることと同じなんです。
とにかく坐禅でも力が入ることはダメで、ゆったりとしていないとうまく呼吸が出来ないと思います。
形だけ教えてあとは自分で考えろというのは、確かに不親切な感じですが、結跏趺坐のイメージなどで難行苦行と思われる坐禅は実はとても自由だと思うんです。
私の坐禅のポイントはたぶん私だけがうまくいくもので、ほかの誰かには当てはまらない。私が和尚さんから習ったお尻の穴をすぼめるやり方がうまくいかなかったように。
結局自分でつかむしかないんです。
だから基本中の基本しか教えてもらえないし、少なくとも禅寺はトップの考えがすべて下の人の考えじゃないし、つまりみんな自由な考え方を持っているんだと思います。
muranさんがこれを書いて下さってよかったです!
実はこのところ編集者回りさぼっていたんです。
こういうこともちょっと付け加えたりして、また編集者回り始めようと思います。
有難うございました。(^-^)
by 九子 (2018-05-18 23:58)
コメントお待ちしておりました。(^^) 自由がベストです。はい。
by mu-ran (2018-05-19 08:23)